待ちに繰り出し、人と触れ合うと、人を観ていると、この人はどんな動機で、何のために在るのか知りた過ぎる
一人ひとりに伺うことはできないので、妄想の域を出ることは無いが、おそらく繰り返されている日常というものはミクロでは確かに変化の毎日だが、マクロでは止まっているに等しく、そんなんでドーパミンやらアドレナリンやら出るのか勝手に心配になる
かくゆう私も快楽物質が足りてないことを自覚しているからお節介にも人の心配をしているのだろう
振り返るとストレスの多い生活を送ってきていた
繰り返される毎日を当然のように送っていたが、その日常の中にはプレッシャーで溢れかえっており、スリリングだったなと回顧する
そんな綱渡りのような生活では、1日の終わりでも緊張の糸は決して緩むことなく、1日を乗り切った安堵と、不安定な明日を憂う二律背反で出来ていた
「もう情緒不安定な日常じゃないと生活できない身体になっちゃったねぇ」
何かに恐怖していると、鼓動を感じ、心臓の場所を確かに知るが、ぬるい生活では心臓の場所はおろか、呼吸をしていることすら感じず、生を実感していない、そんな内省をする
多忙な生活から一転し、暇に忙しい日常は思っていたよりハードモードで、明確な目的を探さなければNPCレベルに成り下がる
どうぶつの森を例にすると、現在の私はタヌキへの借金返済を終え、次何やろうか右往左往している状態だ
何するにも自由は自由ではあるが、想像力、創造力のなさゆえに暇を謳歌することができない
嗚呼、暇を楽しみたい
そんな反省をしている