ウェルカム トゥ X ディメンション
ここは遥か彼方とも言えるかもしれないし、言えないかもしれない。
あなたの次元の隣かもしれないし、隣じゃないかもしれない。
そう、これを理解するには相対性理論の理解と、過去現在未来の所在問題を解決しなくてはならない。
え、自分には早すぎるって?
いやいや、早すぎることも遅すぎることもないんですよ(相対性理論?)
結局のところ、人間は分かり合えないんだからどんな解釈の仕方でもいいんですよ、へけへけ。
唐突えー、では今回はエヴェレットの多世界解釈ではありませんが、そんなようなものを考えていきましょうかね。
っえー、私のことを狂人に思われる方もいるかもしれませんが、それこそ人間が分かり合えないことの証明になっちゃいますからね、うんちブリ
まずは、「次元」というものについてですね。
一次元は点で、二次元は平面、そしてそして三次元が立体っていう認識でいいのですが、一次元が二次元の中に存在していて、その二次元が三次元に存在しているということを意識的に考えてもらえれば幸いです。
そして、一般的に言われていることかどうかは知りませんが、一般的に高次元は低次元の器的存在ですね。えー、分かりやすく説明すると、紙(二次元)の上に点(一次元)が無数に存在しうるということですね。そして、その紙(二次元)は私たちの生きる三次元、いわばこの世界に沢山存在しているということですね。
からの、これを理解したうえで考えられることは、三次元を三次元としてとどめておく器なるものの可能性が挙げられてしまうのですね、えぇ。
その前に皆さまは運命といったものを信じていますか?自分の努力は報われる派か報われない派なのか。そんな感じで。運命論や宿命論の性格はどこか悲観的なもので、未来はもうすでに決まっているので、人間の意志や努力では変わらないといった人生観ではあります。まあ、その中でも自分が努力する運命なんだと信じてやまない人が人生なるもので成功するんでしょうけどね。←しらんがな
で、ですね、高次元的に運命なるものを考えてみましょうと。あくまで一つの可能性ですが。
まず、ここからこんがらがってしまうのですが、一般的に四次元とは三次元に「時間」を合わせたものと言われていますね。だから、三次元上の時間、つまりは私たちが言う過去現在未来といったものを好きに操れるというか、時間が一定方向で進まないというか、なんというか。とにかく時間です。
まあいいや。で、そんな「時間」の四次元では私たちの生きている三次元があらかじめ決まっている。というか保存されているのは薄々気が付いていますよね。そして、その保存されている三次元も一つではないと言えるでしょう。
そう、厄介なのはここなんですよ。私たちは「生まれて死ぬ」といったような一方通行の時間を時間として認知しているがゆえに、そして過去は変われないという固まった思想に取りつかれているため、世界が一つしかないと思いがちなんですよ。そして、全て結果論で片づけようとしてしまうんです。
でもまあ、三次元の者は時間を操れるわけではないのでそれもそうなんですが、運命とか宿命といったものは一つではないといったことを私は伝えたい。
というのは、あくまで例えなのですが、人間は選択をしますね。そして、それが結果的に結果につながると。そして、人間がよく考えることは、「あの時ああしていれば」といったようなifですね。でも人間は一方通行の時間に生きているのでifといったもので止まるんですわ。
えー何が言いたいのかというと、「選択」をするということは、世界が沢山存在しているということなんですよ。分かりやすく「選択」と言いましたが、ここには他人や環境から受ける必然や偶然的な物も含まれています。
人間は単純なので因果関係といったような答えに直結する理由を欲しがりますがナンセンスです。実に
で、人間はそのたくさんある時間(時間の単位ではなく時間そのもの)をどうやら一つしか認知できないため、結果にこだわるのはまあ必然だと思います。
だからこそ、人間はその一つの人生を最良のものにする権利があると思います。というか、最悪の人生も最良の人生も四次元上には存在していて、どこかの次元の自分が最悪の運命を送るかもしれないし、最良の人生を送るかもしれませんがね。
予定があって時間がないので足早に書いたため、説明しきれなかったり、意味わかんないところがあると思いますが、そーリー←皮肉だね
予定に行かない世界の自分もいるけど、私は予定に予定時刻に5分前に到着する次元に生きていると思う。
まあなんだ、動画、逆再生、未来、過去、とかあれであれなんだ。
つまるところは皆馬鹿なんだよ
時間あるときまた更新します。