手について語ろう

片手におち〇ぽ、片手にスマホを持って今日も元気にシコシコ生活の紳士淑女の皆様、こんにちは。ご無沙汰しております。

 

 

いやぁ、ここ数日ね、楽しいことがあり過ぎて語るに語り過ぎることができない気分です(?)

 

まあ、最近気が付いたことは、私自身が直感で話をし過ぎて話がまとまらず、伝わらず、コミュニケーションに支障が出ているということを実感しました。だから変人に思われるんだろうな、うんうん。

 

 

ってことで、今回は手について語りましょう。深い深いま〇こよりも深い内容になっております。チャンネルはそのままで。

 

 

キリトリ

 

 

まず、いつかどこかで書いたかもしれませんが、率直に私は「手フェチ」でございます。そしてその「手フェチ」がどこに終着するのかというと、決して自分が思う美しい手で自分の性器を触ってほしい、自分の頭を撫でてほしいというようなものではなくその人の性格や生活習慣を想像することにあります。

 

 

 

まあ、普通に興奮するんですよね。美しい手を見た時は。性的な意味ではなく。これ大事

 

 

 

一種の芸術なんです!!!!!今凄い勢いつけてエンターキーを押しました。

 

 

 

 

思えば私が手に執着し始めたのは、そう、小学5年生の時に「シャーロックホームズ」を読んだ時から始まりました。たしか、ホームズは人を見るときにはまず手を見てその人の職業を大体当てると...

 

当時の私はなんの意図もなく、ただシャーロックホームズという男に淡い憧れを抱き、その男の真似をする健気な男の子でしたでしょう。小学校という狭い社会では手に種類なんてありませんもの。そうでしょう?

 

そして、中学校、高校と上がり、手を観察する世界がどんどん広がっても、そこまでは特に感動や興奮を覚えることはありませんでした。しかし、人と会う時にまず手を見るという癖を身に着けるには決して短くない期間でした。そして今思うと「あの人美しい手だったな」などと惜しいことしたと思います。

 

私が手に執着することになった決定的な瞬間は、大学に入学し、友達ができ始めたころだと内省しています。

 

 

そう、あの人に出会い、あの人の手を見て、触れた瞬間に。

※決してラブストーリーでもラブコメでもありません

 

 

あの人はとても白い人でした。性格もなんだか白い人で、肌も白い人でした。初めて会ったときに、この人は本当に生きているのだろうかと思うほど透き通っているというか、少しの会話では何もつかめない人でした。もちろん手は美しかったです。以下白い人

 

 

余談ですが、今連絡を取るような人は大体オレンジ色か緑色の人です。これはあくまで私の直感ですが、なんというかオーラというか、その人から感じる色です。多分私にはオレンジや緑色の人が合うのだろうと思います。でも濃いオレンジの人は気が合いませんね。あと淡い色の人はどんな色でも関わりやすいすですね。

一番ヤヴァイ人が多いのは濃い青ですね。ホントにヤヴァイです。

 

 

話を戻して、その白い人はなんもつかみどころがありませんでした。しかし恐る恐る話してみると、意外と共通点があり、普通の人間であることを知りました。

そして何をやっているのだか、私はその人の脈を採らせてくれと、出会って数時間も経たない間に聞いていました。ただ生きているのか確認してみたかったのです。もちろんダメ元でした。

 

 

 

おkを貰いました。

 

 

 

歓喜

 

 

 

普通の脈、標準的な脈、遜色ない脈でした。

 

 

この瞬間から私は何かに目覚めました。何に目覚めたかは今ではもう明確になっていますが、その時に感じたことは喜びに満ちた感覚であったことに違いはありません。その白い手から温もりを感じたのは紛れもない事実でした。

 

 

私はその何かに目覚めてから約3年間、それを隠し続けました。このことを公言してしまうと手の観察が難しくなると考えていましたからね。しかし、私はあの手に出会ってから隠すことを辞めました。

 

 

あの手とは友達と待ち合わせをしている時に立川駅で偶然に出会ったあの手です。久々に感動をしたのですあの艶やかで、細長く、何の穢れもないあの手。運命を感じました。感動しました。興奮しました。光が私を包み込みました。あの白い手に触れた時と同じような幸福を覚えました。

 

 

 

しかし、その手の持ち主は見ず知らずの人。話しかけるにもその人は私のそのような感情をよそに過ぎ去っていってしまいました。一瞬の出来事にも思えるし、とても長い時間が私を通り過ぎていったようにも思えます。儚い気持ちでもありました。しかしその儚さゆえに興奮は収まらず、遅れてやってきた友達にいきなり「今凄い手の人がいた」と勢い余って言ってしまいました。

 

 

友達ドン引き。

 

 

しかし、素直に打ち明けると案外さらっと受け入れてくれて、手を見せてくれと言ったら何のためらいもなく見せてくれました。

 

 

そうなんです。すべて杞憂でした。手フェチを隠しすことは愚かでした。素直に打ち明ければ相手もそれに答えてくれました。打ち明けるのがコロナ渦であったことがとても憎いです。だからそれらの後悔を取り返すべく私は手フェチを隠すことを辞めました。

 

 

 

手とは本当に奥が深い芸術コンテンツです。

 

それこそ、その人の努力や苦労は手に現れます。爪の長さなどからはその人の性格や生活習慣。手先が細長く、清潔な人は決まって化粧が上手く、自身に溢れています。

 

また、遺伝子的な手のそもそもの形も人それぞれで飽きることはありません。

追求しても追求しても終わりがないのです。手を見ることを辞められないんです。

 

 

以上、手についてでした。

 

 

 

 

追記:手相になんて興味はありません。確かに手に触れるきっかけになりますが、そんな卑怯なことはしません。何より手相ははずれそうなのでね笑