身の回りに潜む変態紳士淑女の皆様へ

「愛」ってなんなんだろう、「生きる」とは?

誰もが考えたことがあるであろうこれらの問題、答えは出るようで出ず、眠れぬ夜をいかがお過ごしでしょうか?

 

何を隠そう、私は変態なんです。(脈絡なくてごめんなさい)

 

 

私、実は高度の手フェチでして、駅で待ち合わせする時など他人の手の観察に勤しみ、有意義な時間を過ごし、どんな好みの手と出会えたかを回想しながら友達に話すことに喜びを覚えるのですのですよ。

 

フェチとは言っても、性的嗜好とは言ってもですよ?決してその手で僕の陰部を触って欲しいなどという願望はなく、1つの芸術として一つ一つの手と対話してるわけであるのです。

芸術にも古典、ロマン、近代などと言ったジャンルはありますね、同様に手の形にも種類はあって、それぞれのジャンルの手にもSSRクラスからCクラスまで分類することができ、各分野でのSSRクラスの手を見つけた時には胸が高まり、1センチほど浮いた気分になりますよ、

 

 

私は人の趣味嗜好に対して寛容なんです。私自身が異常性癖を抱えてますからね。

しかし現代社会において社会を広く蝕んでいて、人類存続の聞きに繋がる異常性癖を見つけてしまいました。世の中は常に残酷なものです。私たちは危機から目を背けて生きているのか、はたまた危機を危機と思わないで生きているのか。

 

人類の危機的異常性癖、それは愛玩動物フェチ。

砕いて言いましょう。ペット飼ってるやつは大体やべぇんですよ。もっと具体的に言うと「この子は我が家の大切な一員、家族なんです〜」とか言ってる人なんですよ、えぇ。

 

不気味で仕方がない。

 

この不気味さについて説明すると、家族という社会の単位において、人間以外は社会の一員に決してなれないという事なんですよ。

 

戸籍、というものがありますね。結局、ペットに戸籍もくそもない。血統主義の日本だけに限定して言うと血の繋がりもクソもないペットに苗字は与えら得ない。免許証、パスポートも取得できない。悲しいけどペットは家族じゃない。所有でしかないんですぴえん。

 

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厚生労働省のペットに対する見解も所詮所有物ですし。。。

 

 

古来から犬や猫の存在は人間と文明と共にあった。という人もいるでしょう。確かにその通りですよ。

でも、その文明と共にあったって言っても、食糧確保の為の共依存であって、現在の人間が一方的に食べ物を与えるのと訳が違うんですね。

 

線引きは大切です。

危機感を抱いて欲しいのは線引きを曖昧にする奴らがいる事です。現代社会は曖昧なことがどうもお好きなようでそーゆーことに漬け込んだ商法があるわけなんです。

例えばペット保険。ペットの病気の費用を多少賄ってくれますね。でもこれ、ペットの病気ってもんは与える餌や環境にほとんど左右されますね。

ん〜これはエゴが作り出したペットに対する究極のエゴだぁ〜⤴︎ ⤴︎

 

時々ニュースの最後に採り上げられるペット紹介、メディアが煽る煽る

メディア最低だネ!でもペット業界も引けないところまで来てるんだろうなっても思いますよ。経済界や政治界にもペットを飼ってる人はいるだろうし、ペット産業が確立されてるわけだし。

 

TwitterYouTubeで流れてくる愛玩猫。

他人にみせてどうするんだ。収益のための役割としてなら良い、だけど彼らは綺麗事を言うだけでそんな事を決して言わないですね。あくまで「家族」と言って誤魔化すんですね。

 

私は決して動物愛護団体では無いです。あんなもの暇を持て余した人が優越感のためにやる盲目活動ですから。

 

動物園は研究という役割がある。現地以外での環境で育て、種の存続やその地域なりの見解で研究ができる。でもどうでしょうか、誰もが飼える愛玩動物の研究とは?そりゃ幅広く飼えば幅広い研究ができますよ、だけどその分愛玩動物の研究が進み、その分愛玩動物の商法ができるわけですよ。

 

あー、こわいこわい。

 

 

結局、このような事態になっているのは社会が乾いていて愛情の行方をみんな探しているからなんだろうと思いますよ。それに漬け込みメディアが煽り扇動されてしまう。。。。

 

人間の愛は人間に使いたいものだ()

 

 

https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou10/10.html