でぇぇんじき(断食以下でぇぇんじき)の終わり、それは新しい何かの始まり

まず最初に断っておくが、三日間何も食べない生活を実行していたが、都合が悪かったので2日と半日断食をやった。また、2.5キロ体重は減ったが私のでぇぇんじきの目的はダイエットや減量のためでも、ハンガーストライキでも無い。

 

ただ、地球の食糧危機を身に染みさせようとしたかった。って言うのも嘘だ。しかし実際に身に染みたのは事実である。

 

 

 

 

断食の中で強く感じたのは「空腹」だ。

ここで言う空腹というものは無だ。この「無」というものはゼロという意味ではなく、「無限」という意味だ。腹に底のない無限の広がりを持つ何かを宿し、その中に自分の体が吸い込まれそうにすら思う。

 

また、私は断食の過程で空腹と断食の宇宙とのつながりを見つけた。

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空腹から満腹になるたび、次の空腹を目指し、その空腹は次なる満腹に向かうという輪廻。しかし、その輪廻から解脱をするためには満腹への過程をぶった斬ればいいのだ。

 

ビックバンは無から有が生まれたことだ。宇宙に生きる我々の体は有。しかし無にできるのは胃の中だけだ。ならば胃が私たち人間にとっての宇宙の卵なのではないだろうか。

 

 

この仮説が正しければ、私たちは胃の中にビックバンを生ます事ができるのだ()

 

 

 

 

まぁそんなことはどうでもよくて、でぇぇんじきを終えた後の会話を覗いてみよう。

 

「終わった、終わった、、三日間に渡るでぇぇんじきが終わった。。。

しかしこのでぇぇんじきは失敗に終わったと言っていいだろう。」

 

「なぜ?固形物は食べなかったし、白湯か水しか口にしてないじゃないか?でぇぇんじきは成功だ。」 このように心の中で2人の私が話し合っている。

 

 

 

私Aの意見は以下のようなものである

「終わった、やっと終わったと言っている時点ででぇぇんじきの目的が三日間何も食べずに過ごすだけになっている。断食は成功しても修行としてのでぇぇんじきは失敗だろう。それは心の弱さだ。情け無い。」

 

 

続いて私Bの意見

「腹が減っているにもかかわらず、Twitterを開いては飯テロを調べ、YouTubeを開いてはグルメを見ていた。またコンビニへ行きはしたが何も買わずに家に帰った。このように沢山ある誘惑に意思の強さで乗り越えた。これはでぇぇんじきの成功で間違い無いだろう。現に何も食べずに生還した。」

 

分かるだろうか、双方の意見では議論は平行線なのだ。確かにどっちも正しいことを言っている。だから私本体が決断を下さなければならない。

 

 

私本体

「うむ、これは私本体が[でぇぇんじき]の定義をしっかり決めておかないことに責任がある。したがってこのでぇぇんじきはドロー!」

 

これが私を司る私本体の結論だ。これは絶対、これ決定!ぽんぽんぽ〜ん

 

 

まだこの真のでぇぇんじきの目的を言ってませんでした。しかしこれが明らかになるのは少し先のお話。。。

 

 

追伸

でぇぇんじきはフラフラフラミンゴでツラミンゴ。

 

今日の授業は終わりまた来てね!