新卒が教えるストレスと戦うメンタルの作り方

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↑詐欺だと思った?

 

 

えー、本書は新入社員が抱えるストレスの解消方法を主に解説していくような、自己啓発兼メンタリズムのような内容になっています。なお、本書は新入社員だけに限らず、老若男女多くの人のメンタルにも有効であるとハーバード大学による研究結果が出ているので、どうぞよろしくお願いします。

また、今回は特別に無料でその方法を伝授させていただきます。

 

 

 

↑詐欺だと思った??

 

 

 

 

1 対人関係におけるメンタルの作り方   〜基本編〜

 

 

その人が自慰をしている姿を想像してから話しかける

 

 

→自慰行為は誰だってします。これは自分自身の経験則で話していいことでしょう。今まで一回も自慰行為をしたことがない人に会った事はありますか?中にはいるでしょうが、そんな自己申告制の質問には何の信用性もありません。

考えてみてください。他人が自慰行為をしている姿を……滑稽ですね…

 

そうなんです。どんなに偉い人間も同じ人間。馬鹿みたいなオナ猿です。

 

 

ここでわかって欲しい事は「みんな同じ人間」と言うことです。対人関係で悩む必要はありません。あなたの目の前に現れる人間はどんなに地位が高かろうが「自慰行為をする〇〇さん」でしか無いのです。

 

「コワモテの自慰をする〇〇さん」

「難癖をつけて来た自慰をする〇〇さん」

「お局の自慰をする〇〇さん」

 

 

ほら、怖くない怖くない

 

 

 

 

〜上級編〜

 

 

その人の全裸を想像する

 

これは「自慰行為をする人」を想像するものの派生系であります。さらに想像してください。

 

人は着痩せする生き物です。 ので、余程のモデルとかボディービルダーでない限りだらしない全裸してますよ。

 

見た目がデブなやつはもっとデブで臭そうだし、スラっとしているおっさんでもお腹だけ出ている歪な赤ちゃんだし、お局のおばちゃんもスラっと見えても乳がただれているデブだし。

 

まあ、普通に普通体型の人も思っている1.5倍はデブか惨めなモヤシなので。

 

 

ここで伝えたい事は「ふつうの奴」なんていない事です。人間は大抵愚かで歪で惨めです。

 

 

ほーら、怖くない怖くない。

 

 

パーカーで誤魔化せない体型の人、BMI.50 糖尿病。

 

 

 

 

最後に心のお薬を処方するとしたら、「フワちゃん」オススメです。

 

インスタやYouTubeで目から摂取してもいいし、今すぐNetflixを解約してRadikoのプレミアム会員に登録して「フワちゃんのオールナイトニッポン」を使って耳から摂取するのもいいでしょう。

 

 

 

フワちゃんは歩く抗うつ剤です。

 

 

フワちゃんに抵抗がある人もいると思いますが、その抵抗が無くなれば様々な人に寛容にもなれてお得ですよ。

 

 

 

 

 

みんなで生きて帰ろう。

 

lineのスタンプ作ってたら日記を書く時間んン!

 

えー、昨日の続きなんですが、何故日記を旅行記形式で書くか。

 

それはコンプライアンスに引っ掛かりにくいんですね。比喩とか、特に暗喩が使いやすい。だからこそ旅行記形式で。

 

例えば、「見ず知らずの男が近づいてきていきなり怒鳴ってきた」は「客がクレーム入れてきた」など。

 

 

ってことで。

 

 

キリトリ

 

 

朝起きたのは日が昇る手前の10時だった。無理もない。昨日到着して私は疲れ切っていたからだ。

シャワーを浴びて街へと散策に向かった。目的地は決まっているが、少し遠回りをしようと思った。ので地図が示す最短距離をあえて避けて道を山なりに歩いた。

 

目的地の観光ショップに到着すると、、、、、

 

 

 

あー、だるい、疲れたので寝ます。おやすみなさい。

最高の日記を書こうかなァアアアア!!!

 

どうも、日記をつけ始めても三日坊主も行かないで終わってしまうウジが湧いたような脳みそをお持ちの皆さん。いかがお過ごしですか?

 

春が来たと思ったらまた寒くなって、雪まで降る地域もあって、まさに三寒四温、春眠暁覚不。諸行無常。。。。

 

 

てか、四字熟語で一番最強なのって「諸行無常」じゃね??

当たり前のことを当たり前に言ってるけど全てこれに尽きる。つまり、原点にして頂点的な、堂々としているっているか、風林火山を網羅しているし。臨機応変諸行無常あってのこと、一期一会も、、、、、

 

 

私が一番好きなのは「一場春夢」なんですがね。わらう

 

 

 

今回はもうすぐ新年度ですねッ、ということで、今までの生活を一新して「日記」を書く習慣を生活に取り入れる人が例年より多くいると、予想されているらしく、このビックウウェーブに乗りたい皆様のために、「日記」について教えたいと思います。

 

 

刮目せよぉお↑

 

 

 

えー、まず、日記っていうのは、その日にあったこと、つまり、朝起きてから寝るまでにあったことを文章にして書きとどめておく行為です。

 

え、何、知っている? じゃあ、fuck u

 

 

まあ、いいや。日記には形式なるものが存在しています。

 

 

例えば、画像と文章で構成される「絵日記」。

夏休みの宿題の定番ですね。あれ、なんで夏休みの時にしか描かないんだろうね。毎日絵日記でもいいと思うけど。

絵日記の絵を描いていたら一日が終わったのはいい思い出。小学生ながらの絵日記パラドックス。そう、胡蝶の夢

 

 

二つ目に完全に読み手を意識したただの感想文日記。

中学生にありがちですね。

「今日はプール開きでした。まだ水温が冷たくて凍えました。とっても疲れました」

うん、ゴミ。まま、これもこれで日記。しかしこんな日記じゃ後で読み返したときに具体的に思い出すことのできない過去で終わってしまう。

 

何が足りないのか。感受性だよ、感受性。感情もこもっていないその文章は正しくダメウーマン(頼むから炎上しないで)

 

まあ、この形式の日記は書くことを強制されているかつ、返答してくれる先生とのコミュニケーションの一環だからこれ程度でいいと思うけどね。

 

でも、!

でも、新生活とともに始める日記は記憶の残るものを皆様ご所望でしょ?だからうんゴミの日記形式はおススメしません。

 

 

次に小説形式の日記。

この形式の日記は書いて満足、読まれて恥ずかしい黒歴史のようなものです。

 

大体、この形式の日記は読み手を意識しておらず、心の一番深いところ、つまり心の闇が反映されやすい日記となります。

 

いつしかそれが遺書にもなり得るし、ご存命時にそれを第三者に読まれたら弱みという首根っこを掴まれる状態となり、かなり危険なものです。その日記は黒魔術を行う上での媒介物となってしまうでしょう。かなり危険です。何度でも言います。かなり危険です。これは脅しではありません。危険です。本当に危険です。超危険です。FBI warning

 

 

次に交換日記です。

交換日記とは複数人の間で交わされる秘密の日記のことです。

書く内容は他人の愚痴然り、恋愛相談然り、、、、うう、恐ろしい、、、、

 

でも大丈夫。友達とか恋人がいない皆様方は「交換日記」という邪悪な契りを交わすことなんてないのですから。安心してください!これは都市伝説か何かの日記形式です。

 

 

えー、じゃあおススメの日記形式はなんですかぁ???そんな声がちらほら聞こえてきましたね。今回は特別に教えちゃうんだから❤

 

 

 

ずっばりオススメなのが、旅行記形式の日記です。強く推奨します。

 

小説形式と何が違うのか、と皆様お思いになるでしょうが、全く違います。

旅行記の中に書かれることは大体が自分の知らない世界と触れて感動したことです。もしくは自分が知っている世界との共通点で感動したことなど。

 

感情の質が違うんですわ。

 

記憶に残るんですわ。

 

書いて楽しい、読んで楽しい。

 

もちろん旅行特有のポジティブバイアスが見せるフィクションを織り交ぜてもいい。

 

 

 

思い出してください。冒頭の四字熟語。

 

 

諸行無常

 

 

そう、私たちの毎日はbrand new day。 毎日がbrand new day.

 

いいから黙ってシニシズムニヒリズムを捨てて嘘でもいいから触れるもの全てに、視界に入った全てに感動しろ。

 

 

結局、これが一番手っ取り早い記憶術である気がしてきた。。。。

 

 

 

ってことで、明日から旅行記形式の日記書こ、、、、対よろ。

 

誕生日なので抱負を

 

今日は読者のことを考えないで自分のためだけに書くので挨拶はなしで。という挨拶から始まる私のBlog

 

 

何故なら今日は誕生日だから。矛盾も何も気にしない。そう決めたんだから。(飲んでない)

 

 

 

誕生日ケーキを食べている時に泣きそうになった。

老いることの恐怖ではない。別の恐怖を感じていた。

 

その恐怖の正体は知っていた。だから特にそれについて触れることはしないが、一つだけ言えることは「一線を越える」ということだ。

 

読者は私にとっての「一線を越える」という意味は分からないと思う。しかしそれはそれでいい。これは今の私と未来にこの文章を読んだ私を繋げる合言葉のようなものなのであるから。この感情を思い出させるための合言葉なのであるから。

 

 

卒業式に行った。怖かったけどみんな受け入れてくれた。嬉しかった。4年間の居場所が確かにあったんだと。みんなのことが好きなんだなって思った。

卒業式のバイアスに陥っていただけでも、あれが夢だったとしてもなんでもいい。

私はただただ幸せだった。だだだだだだだだだだだだだだっだだだだだだだだあだあだだだああだだあっだっだっだあだあだだっだだっだっだっだああだだあだ

 

 

後の祭り?夏の終わり?よく分からないけど太陽が沈まなかった日々に一旦区切りをつけないと。

 

 

 

今後どう生きようかなと、

 

社会人になる。先駆者しかいない環境に飛び込むわけだ。でももう怖くない。

素直になって自分の非を真っ先に認める準備はできているし、理不尽なことをしてきた奴の背中に中指を二本立てる準備もできている。

何よりも私には私だけの幸せがある。

もし世界を一人で歩くことになってもこれだけの武器があれば何も怖くない。

 

 

 

それでは聞いてください。私の配属先「住民課」

 

 

もう中指を立てている。あと何回立てることになるのやら。とほほ。

 

 

 

かなり臭い文章になってしまったが、これでいい。否定する奴がいたら中指と盛大な「fuck you」をお見舞いするだけだから。

 

 

 

 

手について語ろう

片手におち〇ぽ、片手にスマホを持って今日も元気にシコシコ生活の紳士淑女の皆様、こんにちは。ご無沙汰しております。

 

 

いやぁ、ここ数日ね、楽しいことがあり過ぎて語るに語り過ぎることができない気分です(?)

 

まあ、最近気が付いたことは、私自身が直感で話をし過ぎて話がまとまらず、伝わらず、コミュニケーションに支障が出ているということを実感しました。だから変人に思われるんだろうな、うんうん。

 

 

ってことで、今回は手について語りましょう。深い深いま〇こよりも深い内容になっております。チャンネルはそのままで。

 

 

キリトリ

 

 

まず、いつかどこかで書いたかもしれませんが、率直に私は「手フェチ」でございます。そしてその「手フェチ」がどこに終着するのかというと、決して自分が思う美しい手で自分の性器を触ってほしい、自分の頭を撫でてほしいというようなものではなくその人の性格や生活習慣を想像することにあります。

 

 

 

まあ、普通に興奮するんですよね。美しい手を見た時は。性的な意味ではなく。これ大事

 

 

 

一種の芸術なんです!!!!!今凄い勢いつけてエンターキーを押しました。

 

 

 

 

思えば私が手に執着し始めたのは、そう、小学5年生の時に「シャーロックホームズ」を読んだ時から始まりました。たしか、ホームズは人を見るときにはまず手を見てその人の職業を大体当てると...

 

当時の私はなんの意図もなく、ただシャーロックホームズという男に淡い憧れを抱き、その男の真似をする健気な男の子でしたでしょう。小学校という狭い社会では手に種類なんてありませんもの。そうでしょう?

 

そして、中学校、高校と上がり、手を観察する世界がどんどん広がっても、そこまでは特に感動や興奮を覚えることはありませんでした。しかし、人と会う時にまず手を見るという癖を身に着けるには決して短くない期間でした。そして今思うと「あの人美しい手だったな」などと惜しいことしたと思います。

 

私が手に執着することになった決定的な瞬間は、大学に入学し、友達ができ始めたころだと内省しています。

 

 

そう、あの人に出会い、あの人の手を見て、触れた瞬間に。

※決してラブストーリーでもラブコメでもありません

 

 

あの人はとても白い人でした。性格もなんだか白い人で、肌も白い人でした。初めて会ったときに、この人は本当に生きているのだろうかと思うほど透き通っているというか、少しの会話では何もつかめない人でした。もちろん手は美しかったです。以下白い人

 

 

余談ですが、今連絡を取るような人は大体オレンジ色か緑色の人です。これはあくまで私の直感ですが、なんというかオーラというか、その人から感じる色です。多分私にはオレンジや緑色の人が合うのだろうと思います。でも濃いオレンジの人は気が合いませんね。あと淡い色の人はどんな色でも関わりやすいすですね。

一番ヤヴァイ人が多いのは濃い青ですね。ホントにヤヴァイです。

 

 

話を戻して、その白い人はなんもつかみどころがありませんでした。しかし恐る恐る話してみると、意外と共通点があり、普通の人間であることを知りました。

そして何をやっているのだか、私はその人の脈を採らせてくれと、出会って数時間も経たない間に聞いていました。ただ生きているのか確認してみたかったのです。もちろんダメ元でした。

 

 

 

おkを貰いました。

 

 

 

歓喜

 

 

 

普通の脈、標準的な脈、遜色ない脈でした。

 

 

この瞬間から私は何かに目覚めました。何に目覚めたかは今ではもう明確になっていますが、その時に感じたことは喜びに満ちた感覚であったことに違いはありません。その白い手から温もりを感じたのは紛れもない事実でした。

 

 

私はその何かに目覚めてから約3年間、それを隠し続けました。このことを公言してしまうと手の観察が難しくなると考えていましたからね。しかし、私はあの手に出会ってから隠すことを辞めました。

 

 

あの手とは友達と待ち合わせをしている時に立川駅で偶然に出会ったあの手です。久々に感動をしたのですあの艶やかで、細長く、何の穢れもないあの手。運命を感じました。感動しました。興奮しました。光が私を包み込みました。あの白い手に触れた時と同じような幸福を覚えました。

 

 

 

しかし、その手の持ち主は見ず知らずの人。話しかけるにもその人は私のそのような感情をよそに過ぎ去っていってしまいました。一瞬の出来事にも思えるし、とても長い時間が私を通り過ぎていったようにも思えます。儚い気持ちでもありました。しかしその儚さゆえに興奮は収まらず、遅れてやってきた友達にいきなり「今凄い手の人がいた」と勢い余って言ってしまいました。

 

 

友達ドン引き。

 

 

しかし、素直に打ち明けると案外さらっと受け入れてくれて、手を見せてくれと言ったら何のためらいもなく見せてくれました。

 

 

そうなんです。すべて杞憂でした。手フェチを隠しすことは愚かでした。素直に打ち明ければ相手もそれに答えてくれました。打ち明けるのがコロナ渦であったことがとても憎いです。だからそれらの後悔を取り返すべく私は手フェチを隠すことを辞めました。

 

 

 

手とは本当に奥が深い芸術コンテンツです。

 

それこそ、その人の努力や苦労は手に現れます。爪の長さなどからはその人の性格や生活習慣。手先が細長く、清潔な人は決まって化粧が上手く、自身に溢れています。

 

また、遺伝子的な手のそもそもの形も人それぞれで飽きることはありません。

追求しても追求しても終わりがないのです。手を見ることを辞められないんです。

 

 

以上、手についてでした。

 

 

 

 

追記:手相になんて興味はありません。確かに手に触れるきっかけになりますが、そんな卑怯なことはしません。何より手相ははずれそうなのでね笑

 

 

 

 

 

発狂します。

ウェルカム トゥ X ディメンション

 

 

ここは遥か彼方とも言えるかもしれないし、言えないかもしれない。

あなたの次元の隣かもしれないし、隣じゃないかもしれない。

 

 

そう、これを理解するには相対性理論の理解と、過去現在未来の所在問題を解決しなくてはならない。

 

 

 

え、自分には早すぎるって?

 

 

いやいや、早すぎることも遅すぎることもないんですよ(相対性理論?)

 

 

結局のところ、人間は分かり合えないんだからどんな解釈の仕方でもいいんですよ、へけへけ。

 

 

 

唐突えー、では今回はエヴェレットの多世界解釈ではありませんが、そんなようなものを考えていきましょうかね。

 

っえー、私のことを狂人に思われる方もいるかもしれませんが、それこそ人間が分かり合えないことの証明になっちゃいますからね、うんちブリ

 

 

まずは、「次元」というものについてですね。

一次元は点で、二次元は平面、そしてそして三次元が立体っていう認識でいいのですが、一次元が二次元の中に存在していて、その二次元が三次元に存在しているということを意識的に考えてもらえれば幸いです。

 

そして、一般的に言われていることかどうかは知りませんが、一般的に高次元は低次元の器的存在ですね。えー、分かりやすく説明すると、紙(二次元)の上に点(一次元)が無数に存在しうるということですね。そして、その紙(二次元)は私たちの生きる三次元、いわばこの世界に沢山存在しているということですね。

 

 

からの、これを理解したうえで考えられることは、三次元を三次元としてとどめておく器なるものの可能性が挙げられてしまうのですね、えぇ。

 

 

その前に皆さまは運命といったものを信じていますか?自分の努力は報われる派か報われない派なのか。そんな感じで。運命論や宿命論の性格はどこか悲観的なもので、未来はもうすでに決まっているので、人間の意志や努力では変わらないといった人生観ではあります。まあ、その中でも自分が努力する運命なんだと信じてやまない人が人生なるもので成功するんでしょうけどね。←しらんがな

 

 

で、ですね、高次元的に運命なるものを考えてみましょうと。あくまで一つの可能性ですが。

 

まず、ここからこんがらがってしまうのですが、一般的に四次元とは三次元に「時間」を合わせたものと言われていますね。だから、三次元上の時間、つまりは私たちが言う過去現在未来といったものを好きに操れるというか、時間が一定方向で進まないというか、なんというか。とにかく時間です。

 

まあいいや。で、そんな「時間」の四次元では私たちの生きている三次元があらかじめ決まっている。というか保存されているのは薄々気が付いていますよね。そして、その保存されている三次元も一つではないと言えるでしょう。

 

 

そう、厄介なのはここなんですよ。私たちは「生まれて死ぬ」といったような一方通行の時間を時間として認知しているがゆえに、そして過去は変われないという固まった思想に取りつかれているため、世界が一つしかないと思いがちなんですよ。そして、全て結果論で片づけようとしてしまうんです。

 

でもまあ、三次元の者は時間を操れるわけではないのでそれもそうなんですが、運命とか宿命といったものは一つではないといったことを私は伝えたい。

 

 

というのは、あくまで例えなのですが、人間は選択をしますね。そして、それが結果的に結果につながると。そして、人間がよく考えることは、「あの時ああしていれば」といったようなifですね。でも人間は一方通行の時間に生きているのでifといったもので止まるんですわ。

 

えー何が言いたいのかというと、「選択」をするということは、世界が沢山存在しているということなんですよ。分かりやすく「選択」と言いましたが、ここには他人や環境から受ける必然や偶然的な物も含まれています。

人間は単純なので因果関係といったような答えに直結する理由を欲しがりますがナンセンスです。実に

 

で、人間はそのたくさんある時間(時間の単位ではなく時間そのもの)をどうやら一つしか認知できないため、結果にこだわるのはまあ必然だと思います。

 

だからこそ、人間はその一つの人生を最良のものにする権利があると思います。というか、最悪の人生も最良の人生も四次元上には存在していて、どこかの次元の自分が最悪の運命を送るかもしれないし、最良の人生を送るかもしれませんがね。

 

 

 

予定があって時間がないので足早に書いたため、説明しきれなかったり、意味わかんないところがあると思いますが、そーリー←皮肉だね

 

予定に行かない世界の自分もいるけど、私は予定に予定時刻に5分前に到着する次元に生きていると思う。

 

 

まあなんだ、動画、逆再生、未来、過去、とかあれであれなんだ。

 

 

つまるところは皆馬鹿なんだよ

 

 

時間あるときまた更新します。